Graves & Twisted Fateーミセス・ボローの誕生日ー

 

 ※こちらはお友達のかりぱくさんの誕生日に送ったものです。同性愛表現があるので苦手な方はお気をつけください。

 

 

 階下から聞こえる食器の音と、食べ物の匂いで、Gravesは目を覚ました。ベッドの上でぐっと大きくのびをすると、全身に血がめぐるのを感じる。眠りを引きずってぼんやりする寝癖頭を、ガリガリかきながら階段を下りると、背の高いダイニングの机に座ったTwisted Fateが、コーヒーを飲みながら朝食を食べていた。白いシャツにスラリとした黒いズボンをあわせて、優雅に足を組むのが様になっている。

「ずいぶんと遅いお目覚めだな、Malcom

 片眉をあげておどけたように言うFateに、Gravesは「まあな」と適当に手を挙げて答える。そのままフライパンの中にある目玉焼きと、バターと塩コショウで焼いた厚切りのベーコンを皿にうつし、斜めに切られたフランスパンを適当につかむ。そして灰色のスウェット姿のまま、Fateの前にどっかりと腰をおろした。スウェットはかなり余裕があるはずだが、Gravesの身体はそれをダボつかせずに着ることができるほどたくましかった。

「朝飯つくってやったんだぜ、礼は?」

「ありがとよ、うまいなこれ」

 パンといっしょにベーコンをほおばりながら、Gravesがおざなりに礼を言うと、Fateは手のかかる子どもを見るかのような顔で笑った。

「おい、ミセス・ボローから小包が届いてるぜ」

 そう言うFateがさした先には、茶色の小さな小包があった。表に真っ赤な蝋印がおされた、白い封筒がはさまっている。

「俺にもコーヒー淹れてくれ」

 そう言いながらGravesは手紙を開いた。中には筆記体の流麗な英語で、二人を誕生日のパーティーへ招待する旨がつづられていた。

「なんて書いてあるんだ?」

「ミセス・ボローの誕生日パーティーへご招待、だそうだ」

「へぇ、そりゃめでたい。なにかと世話になってるし行かなきゃな」

「…………」

「どうしたMalcom、ババを掴まされたような顔して」

「うるせえな。俺ぁアイツがちょっと苦手なんだよ」

 Gravesはそう言って、皿の残りをがっとかきこんだ。ミセス・ボローは、Gravesに会うたびに「あらあ!相変わらずいい男ねえ」と言いながら、妖しい視線を体に這わせてくるのだ。仕事を頼んでもやけにサービスがいいし、既婚者に似つかわしくない不穏な視線で見られているような気がしてならない。

「おいおい、こんなもんが入ってるぜ」

 Fateが小包を開くと、中から二本のネクタイが出てきた。ご丁寧に、それぞれに"for Malcom""for Fate"と書いた紙がはってある。

 Gravesのネクタイは宵闇を織り上げたような紺色で、Fateのネクタイははっと目を引くような美しい赤だった。

「……あの女から物をもらうと後が怖えよ」

 そう言いながらも、贈られたものを無下にするわけにもいかず、Gravesはネクタイを胡散臭そうに持ち上げた。なめらかな手触りにかすかに艶のある生地は、かなり値の張る代物であることをうかがわせる。

「どうやらこれつけてこいってことだな。逃げられねえみたいだぜ?」

 Gravesは大きくため息をついたのだった。

 

 誕生日の当日、二人は久しぶりにスーツへ袖を通した。

 Fateは光沢のある藍色のスリムなスーツの内側に、星のような銀色がちりばめられたベストを着ていた。贈られてきた赤いネクタイが胸元にアクセントを添えている。

 Gravesも同じ生地のスーツで、こちらは彼の体格を考慮して余裕のあるつくりになっていた。もともとコーデュロイの茶色いスーツを愛用していたのだが、Fateに「ダサい」と切り捨てられ、新しいスーツを仕立てられたのだ。

Malcom、せっかくの上等なネクタイが曲がっちまってるじゃねえか」

 そう言いながらFateが、Gravesのネクタイをなおす。オールバックに髪の毛を撫でつけているので、胸元を見るFateの切れ長の目がよく見える。

 家を出る前にちらりと鏡を見ると、贈られてきた紺色のネクタイは思っていたよりも自分に似合っていた。

「へへ、悪くねえな」

 そう言って笑いながら、無意識のうちにネクタイを緩めているGravesを見ながら、Fateはやれやれと首を振ったのだった。

 黒いセンチュリーを運転するFateの隣で、Gravesは手紙を読み返していた。封筒の中には手紙だけでなく、会場の住所や席配置が書かれた紙もあって、二人の席が指定されている。

「俺ぁ確かにあの女に世話になったし、仕事を手伝ったこともあるけどよお。だからって結婚式に招待されるほどの仲じゃあねえと思うんだよなあ」

「ミセス・ボローはお前のことをやたら気に入ってるからな」

 窓のふちに肘をついて手紙を眺めながら、Gravesはふんと鼻を鳴らした。

 

 やがて二人の車は、とある小さなホテルの地下駐車場へと入っていった。閑散とした駐車場に車をとめてホテルに入ると、玄関ホールに「ミセス・ボロー誕生パーティーのため貸し切り」という看板がたっていた。

「とんでもねえ金の使い方する女だな……」

 Gravesは呆れてそうつぶやいた。

 ミセス・ボローは、ある筋では有名な女だ。

 彼女は「また貸し屋」とでもいうような商売をしていて、取り扱う商品は多岐にわたる。人を、金を、家を、動物を、絵画を、乗り物を、武器を。金に折り合いさえつけば、どんなものも商品にしてしまう。

 もちろん彼女がそのすべてを持っているわけではない。彼女は貸したい人物と借りたい人物の間をつなぐパイプ役のようなものだ。そして時に、依頼された品物を略奪してくることもある。もちろんすべてが済んだあとには、きちんと返品するという徹底っぷりだ。

 自分で商品を持たずに、仲介料だけをとる。裏の仕事は報酬も高いため、彼女のやり方は金銭効率がよく、かなりの富豪だという噂だった。

 受付で名を告げると、「Malcom Graves様に、Twisted Fate様ですね。お越しくださってありがとうございます。会場は階段をあがって左手にございますので、どうぞこちらを胸につけて、お席についてお待ちください」と、バラのコサージュを渡された。

「つけてやるよ」

 そう言ってFateGravesの胸にコサージュをつける。人前でそんな風にされることに気恥ずかしさはあったが、不器用な自分がつけようとすると手間取ってしまうことはわかっていたので、黙ってされるがままにしておく。

 階段を上って会場に入ろうとすると、「あらあ、MalcomFate!きてくれたのね~!」と後ろから声をかけられる。

 二人が振り返ると、巻貝のように髪の毛を結い上げたメガネの女性が立っていた。上品なクリーム色のドレスに身を包み、あけっぴろげな笑顔を浮かべている。

「これはこれは、ミセス・ボロー。主役がこんなところにいてはマズいのでは?」

 Fateはそう言いながらおどけたように両手を広げた。

「いいのよ別に、まだパーティーが始まるまでは時間があるし。それより贈ったネクタイ、ちゃんとつけてきてくれたのね! 二人に似合うと思ったのよ」

「どっちかというとお前はプレゼントを贈られる側じゃねえのか?」

「そんな細かいことは言いっこなしよ、私のかわいいおひげさん」

 そう言ってミセス・ボローがウィンクをすると、Gravesはたまったもんじゃないというように視線を逸らしてしまった。

「あら、つれないのねえ。まぁいいわ。ゆっくりしていってね

 そう言って握手を求めてくるミセス・ボローの笑顔はほんとうに嬉しそうで、二人の彼女へ向ける視線は、自然とやわらかいものになってしまうのだった。

 自分たちの席について待っていると、ほかの席にも客が座り始めた。学者のような男、本を読んでいる女、荒事に慣れていそうな人々。裏の世界の重鎮と呼ばれる大物から、見も知りもしない謎の人物まで、多種多様な来賓がいる。

 やがて会場の明かりが消え、正面に設営された舞台の脇にスポットライトがあてられた。ミセス・ボローがそこへ歩み出て、優雅に礼をしてから壇上に立つ。

「皆さま。本日は私の誕生パーティーへお越しくださり、まことにありがとうございます。現在生業としている仕事を始めてから、こうして誕生日を迎えるたびに、今年も一年無事に乗り越えることができたことがしみじみありがたく感じるようになりました。本日は私の誕生日ではありますが、いつもお世話になっている皆さまに心ばかりのお礼をしたいとも思っております。食事のあとは催し物も用意しておりますので、どうぞお楽しみください」

 そこまでしとやかに言い切ってから、ミセス・ボローはがらりと口調を変えた。

「と、いうわけで! 大真面目なご挨拶はここまで! まずはとにかく食べて飲んでしゃべって、それからみんなで楽しみましょ! みなさんグラスはお持ちかしら?」

 そう尋ねると、会場の客たちが軽くグラスを持ち上げた。

「それでは! カンパーイ!」

 そうして誕生日パーティーが始まった。給仕がテーブルの間をまわりながら、豪勢な料理を置いてまわる。事前に好物を知っている客には、メニューを別にしてある手の込みようだ。贈られたプレゼントは舞台に積み上げられ、ミセス・ボローが一つずつ開けては「すごーい!」「ありがとう!」と歓声をあげている。

 プレゼントの中には謎の絵画やキッチンセット一式という牧歌的なものから、サバイバルナイフセットや意匠を凝らした古めかしい拳銃など多種多様なものがあった。

 GravesFateはアレでもないコレでもないと議論したが、結局「だいたいあの女がもらう貢物は相当の量だろうし、残るもんは被ったら邪魔になるだろうが。酒でいいんだよ酒で、酒屋に行くぞ」というGravesの言葉で、かなり値の張るウィスキーと、酒屋の店員がしきりに勧めてきた日本酒を贈った。

「さてさて、それではみなさんと親交を深めに行きましょうかね」

 ミセス・ボローがそう言って壇を降りた瞬間、会場の明かりが急に消えた。広いホールの彼方に、非常口の緑色の光だけがぼんやりと見える。

 ざわめく会場の中に、素早く動くいくつかの気配があった。Gravesはとっさに臨戦態勢になるが、祝いの席なので武器は帯びておらず、心もとなさを感じながらあたりを探った。

「おい、Fate

「ああ」

 短いやり取りで、互いに背中を合わせて"何か"が起こるのに備える。

 一気に緊張した雰囲気が漂う会場の中に、ミセス・ボローの短い悲鳴が聞こえた。続いてもみあうような音と、暗闇にうごめくいくつかの気配。

 ふっと会場が静まり返った瞬間、再び明かりがついた。客たちが張りつめた表情で互いをうかがう様子が、元通りに照らされて祝いの雰囲気を残す会場が不釣り合いだった。

 GravesFateのもとへ、一人の男が走ってきた。さっとそちらを見やったGravesは、見知った顔なので警戒を解く。

「アンタか。どうやら嫁さん、さらわれちまったみたいだぜ」

 そう言って、もぬけの殻になった壇上をくいっとあごでしゃくる。

「その様ですね。そこで荒事に慣れているお二人に相談なのですが、どうか妻を助けにいっていただけないでしょうか。もちろん報酬は弾みます」

「そうは言っても、今回の犯人が誰だかわからない上に、どこに向かったのかすら不明では、私たちもどう助ければいいか」

「それなら気にしないでください。皆さんのコサージュには発信機がつけられています。そして会場から消えているのがどの客かもわかっています」

 Gravesは、やけに落ち着いた男の様子と手際のよさに違和感をおぼえた。

「なんだ、アンタまるでミセス・ボローが誘拐されるのを予想していたような口ぶりだな」

 そういうと、男は眉をしかめてうつむき、「そうですね……」と力なく口にした。

「妻の仕事は、時には人の恨みを買うものです。だからパーティーをするなら無闇に招待しないでくれと頼んだのですが、妻は自分を狙っている輩がいるならそれを明らかにして潰したほうがはやい、と言いまして」

「なるほど、それで私たちも招待客のリストに入ったのですね」

 Fateの言葉に、「おいおいなんだそりゃ」とGravesが怪訝な顔をする。

「俺たちは誘拐が防げなかった時のための保険だったってことさ。もし誘拐が起こったなら、救助を依頼しようってな」

「なんだそりゃ、俺たちが受けるとは決まってねえだろ」

「お二人はミセス・ボローに借りがおありでしょう? 『借りたら返す』が彼女のモットーですよ」

 そう言って笑う夫は、一筋縄ではいかない雰囲気をまとっていた。

 ――裏の世界で生きる女の伴侶になるような男だ、依頼を受けるよりも断るほうがリスキーだろう。

 そう思いながらも、Gravesは言いなりになるのが嫌で最後の抵抗を試みた。

「だけどよお、武器もねえのに救出に行けるわけがねえ」

「それならご心配なく」

 そう言って二人が連れていかれた控室には、多種多様な武器がそろっていた。

「準備のよろしいこって……」

 そう言ってGravesは苦笑いしたのだった。

 

 愛車の真っ黒なセンチュリーに乗って、二人は無線にイヤホンをつないだ。後部座席には、二人が選んだ武器の入ったトランクがある。

「もしもし、聞こえますか? 相手はどうやら、ボルネアファミリーというマフィアのようです」

「なんだってマフィアなんぞに狙われてるんだ、あの女は」

「おそらく昔ボスの令嬢を商品にしたことがあるからでしょう」

 GravesFateはそろって大きくため息をついた。

「心中お察ししますが、やってしまったことをとやかく言っても仕方ありません。その信号を左に曲がったところにある、灰色のビルの中に妻はいるようです」

 実際に信号を曲がると、少し向こうに灰色のビルが建っていた。十階建てくらいだろうか、高いビルだらけの中で、そのビルだけが沈んで見えるので、言われなければ気にせず素通りしてしまっただろう。

「隠れ家にはおあつらえ向きだな」

 そう言いながらFateはぐるりと回って、裏のビルの駐車場に車をとめた。

「お二人のコサージュにも発信機はついておりますので、それを見ながら妻の居場所までガイドをします。ですのでコサージュはつけたままでどうぞ。鍵開けはできますか? できないなら壊してもかまいませんが」

Fate、お前できたよな」

「まあな」

「では問題ありませんね。それでは妻のこと、よろしく頼みます」

 そう言われ、二人は車を降りた。

 Gravesは上着を脱ぎ捨て、薄いストライプのはいったシャツの胸にコサージュをつけた。トランクの中から取り出したのは、いつもよりは小ぶりなショットガンだ。尻ポケットに薄型の手榴弾スタングレネードを突っ込んでいる。

 Fateはスーツのまま、手にもったトランプをもてあそんでいる。内ポケットに拳銃を忍ばた上着の襟を、両手でピシッと揃えて見せた。

「さて、行くか」

 二人は久々の荒事の気配に、不敵な笑みを浮かべながらビルの隙間へ消えた。

 

 裏口から忍び込んだ二人は、見張りを殴り倒して昏倒させた。

「そのビルは十一階建てで、妻はどうやら十階にいるようです。エレベーターはワイヤーを切られる恐れがあるので、階段を使ってください」

 案内に従って進み、遭遇した相手にはすぐさま襲い掛かり、二人はあっという間に七階まで駆け上がった。

 しかしそのあたりで敵も侵入者に気づいたのか、にわかに建物の中が騒がしくなる。二人は人気のない小部屋に隠れ、様子をうかがう。

「ここまでは不意をついてやれたが、どうやらずっとそう、うまくはいかないようだな。どうする」

「どうするも何も、正面突破するしかねえだろ」

 そう言ってにやりと笑ったGravesは、ショットガンをジャコッと鳴らした。

「あ、言い忘れていましたが、お二人の武器に入っているのは実弾ではありません。暴徒を鎮圧するために作られた、特殊なゴム弾です」

「はあ? んなもんでいったいどうやって戦えってんだ!」

 Gravesが思わず声を荒げると、「おい、声がしたぞ」「こっちだ」と外から聞こえてきた。すぐにドアがバンと開かれ、拳銃を構えた男たちがなだれ込んでくる。

 ――先手をとらないとやられる。

 一瞬で判断したGravesは、とっさにショットガンをぶっぱなした。ガォンという音とも衝撃波ともつかない反動のあとに、男たちの悲鳴が響く。

 ゴム弾は激しい衝撃とともに指や鎖骨程度の骨ならへし折り、当たり所が悪かった何人かの男は気絶しているようだった。

「そのゴム弾は命を奪いはしませんが、重く響く痛みを残します。頭に当てれば昏倒させるくらいは容易で、腕や肩に当たった相手はしびれて武器をもつことができなくなるでしょう。殺したくないけど戦闘不能にはしたい、という用途にもってこいの代物です。まあそれだけの威力ですから、当たり所が悪ければ死にますけどね」

 武器を見ながら、ひゅう、と口笛を鳴らして、Gravesは立ち上がった。

「そんじゃあ行くか」

 もう一度ジャコッとショットガンを鳴らしたGravesに、Fateがうなずいた。

 正面に飛び出してくる敵はGravesがショットガンでなぎ倒し、Fateは取りこぼしや背後を狙う敵を拳銃で仕留めていく。階段には多くの敵がいたので、通路へ誘い込み、時に隠れ、時に襲い掛かりながら階をあがっていく。

 そうして十階にたどり着いたところで、「ちょっと待ってください」とストップがかかった。

「すみません、少し気になることがあって。妻の発信機の反応は左の奥の小部屋にあるのですが、会場にいた犯人たちの信号が集中しているのは、右の会議室のような所です。別れているのが不可解というか、なにか変な感じが……」

「ちっ、まどろっこしいな」

 舌打ちをしたGravesを、Fateがにやにやと笑いながら見る。

「なんだよ」

「賭けをしようぜ」

 そう言われて、Gravesは探るようにFateをみたあと、ニヤリと笑った。

「そうか、そうだな。じゃあ俺ぁ右だ」

「わかった。じゃあ俺は左に行こう」

 そのやり取りを聞いて、慌てた声が無線から聞こえる。

「ちょっとちょっと、別れたら危ないですって!」

 そんな声には取り合わず、FateはそっとGravesの耳元に口をよせた。そのまま無線に入らないよう低めた声で囁く。

「勝ったほうが、一ヶ月ベッドで上をやる。いいな?」

 荒事で興奮した頭に囁かれた言葉がしみ込んできて、Gravesはらんらんと光る眼で「いいぜ」と答えた。

 そして二人は合図もなく別れ、それぞれの目的の部屋を目指した。

 

 敵は下の騒動でほとんど倒したのか、奥の部屋までは順調に進んだ。

 Gravesは目的の部屋の外でピタリと止まり、そっと扉に耳を押し付ける。人の気配はあるが、何人いるのかはよくわからない。

 と、その耳に「んんーっ! んう!!」とかすかにくぐもった声が聞こえてきた。

 ――ビンゴ。

 Gravesは賭けに勝ったことを確信しながら、ゆっくりと大きく息を吐いた。それから素早く吸って息を詰めると、勢いよく扉を開けた。

 ――1234……5人か。

 部屋はかなり広く、武器を持った男たちの奥に、手足を縛られさ猿ぐつわを噛まされて、床に転がっているミセス・ボローが見えた。

「目を閉じろ!」

 叫びながらGravesは手前に手榴弾を放った。自分の声に反応して目を閉じたミセス・ボローと、同じように目を閉じ耳をふさいだマフィアの姿を確認して、さっと扉の陰に隠れる。

 くぐもったようなボンッという音がして、すぐに扉をあけると、マフィアたちは黒くねばついたゴムに手足をとられてもがいていた。ミセス・ボローに流れ弾が行かないよう角度を調整して、ショットガンをぶっぱなす。

 先ほどGravesが放った手榴弾スタングレネードではなく、特殊なゴム液を飛び散らす爆弾だった。ゴム液は飛び散った後急速に粘性を増し、当たった相手をとりもちのように固める。

 Gravesは叫んだ言葉でスタングレネードだと勘違いさせ、男たちをその場に釘付けにして、彼らを一網打尽にしたのだった。

 男たちが戦闘不能に陥ったのを確認してから、Gravesはミセス・ボローに駆け寄った。

「おう、大丈夫か」

 言いながら猿ぐつわを外してやると、ミセス・ボローは苦しそうにげほげほと咳こんだ。そして「あ、ありがとう……」とかすれた声で礼を口にする。

 無事に任務を達成したことを確信しながら、手足を結ぶ縄を切っていると、不意にミセス・ボローが目を見開いた。

「後ろ!」

 叫ぶと同時にGravesが横に飛びのき、ミセス・ボローの顔のすぐ横の壁に穴があいた。彼がそのまましゃがみ込んでいれば、肉を穿っていたであろう位置だ。

「おう、やってくれるじゃねえか」

 ゆらりと立ち上がったGravesが振り返ると、こめかみをひくつかせた男が立っていた。

「おっと、動くなよ」

 ショットガンを構えようとしたGravesを牽制するように男が言って、銃口をGravesに向けた。

 ――ドジっちまったか。

 おそらく別の部屋に潜んでいた男が、音を聞きつけて様子をみにきたのだろう。

 ――まったく、俺も鈍ったもんだぜ。

 久しぶりの荒事で勘を失ってしまったのか、警戒を怠っていた自分に気づく。しかし銃口はすでに向けられ、男がほんの少し人差し指を動かせば決着がつく状況だった。

「まったく、よくもまあやってくれたもんだぜ」

 そう言って、床に倒れている男たちを見やる。顔には不愉快そうな表情が張り付いていた。

「ちょ、ちょっと待って! 狙いは私でしょう、その人は助けに来てくれただけよ。やるなら私をやりなさい」

 そう言って、きっと男を睨みつけたミセス・ボローを、男がバカにしたように笑う。

「お前もわかってるだろ。ここまで面子を潰されて、マフィアが逃がすわけないってな」

 言いながら男が引き金に手をかけた。

 Gravesは自分に向けられた銃口を見て、不意に胸に痛みが走るのを感じた。

 共にイカサマで荒稼ぎをし、自分たちは仲間だと思っていた時代。裏切られ、憎しみだけを胸に生きた数年間。そしてミセス・ボローに図られてFateと再会し和解を果たしてから送ってきた、心地よい湯船につかっているかのような日々。

 ――ここで終わりか。

 ぽたりと落ちた水滴がしみていくように、虚しさが胸に広がる。いつか報いを受けることになると思っていたが、同時に心のどこかでそんな日がこなければいいと思っていたことに、不意に気づいた。

 ――都合のいい話だ。俺の手はずっと昔から、他人の涙と血に濡れてきたんだからな。

 Gravesは目を閉じた。瞼の裏に浮かんだのは、Fateの、しょうがないやつだというように笑う顔だった。

 そして銃声が――。

 

 ――…………?

 鳴り響くはずの銃声は、いつまでたっても聞こえてこなかった。代わりに聞こえてきたのは、カードを場に広げるような音。

 そっと目を開くと、目の前にはFateの後ろ姿があった。

Fate、お前なんでここに!」

 驚きながら口にすると、「俺のほうがハズレだったから、すっ飛んできたんじゃねえか」とFateは笑った。

「それにしてもジャストタイミングだったみたいだな」

 そう言うFateの向こうには、胸に黄色いカードが刺さって彫像のように固まったマフィアの姿がある。

「大丈夫か?」

 気づかわしげに肩に手を置かれて、Gravesは曖昧に答えた。そして片腕だけをFateの首にまわしてぐっと抱き寄せてから、「すまねえ、助かった」と礼を口にした。Fateはその背中をぽんと叩いて、「当たり前だ、まだ賭けの報酬をもらってないからな」と答える。

「はぁ!? あれは俺の勝ちだろうが」

「絶体絶命に陥ってたやつが何言ってるんだか。俺が飛んでこなかったら、自分がどうなってたかくらいわかるだろ?」

 そう言われてGravesは険悪な顔でFateをねめつけたが、Fateのほうはどこ吹く風と知らん顔だ。

「とんだ誕生日になってしまいましたね、ミセス・ボロー」

 それを食い入るように見ているミセス・ボローに、Fateが声をかけた。

「え、あ、ああ、そうね。まあでも二人が助けに来てくれて助かったわ!」

 そう言ったあとミセス・ボローは、いいものも見れたしね、とごにょごにょ呟く。マフィアにつかまっていた直後とは思えないようなにやけた表情をしているミセス・ボローに、二人が怪訝な視線を向けると、「なんでもないの!」と彼女はにっこり笑った。

「さ、帰りましょうか。パーティーは解散しちゃっただろうし、二人には晩ごはんをごちそうするわ。ちょうどいいから送ってくれたお酒もあけちゃいましょうか。パーッと飲みましょ!」

 かくして、ミセス・ボロー誘拐事件は幕を閉じたのだった。

 二人が夜明けまでミセス・ボローに付き合わされ、「これはお礼なんだから!」と散々飲まされ、生活やその他もろもろのことを根掘り葉掘り聞かされたのは言うまでもない。

 

 

「うふ、うふふ、うふふふふふ」

 ミセス・ボローの館に怪しげな笑い声が響き渡る。

「ちょっと、また観てるの?」

 呆れたように言う夫に対して、「いやあ、これが何回みても飽きないのよねえ」と、ミセス・ボローはセクハラ親父のようないやらしさを含んだ声で答えた。

 ミセス・ボローが見ているのは、コサージュに仕込んだ小型カメラがとらえた、GravesFateの活躍の一部始終だ。ちなみにミセス・ボローのコサージュにもカメラがついていて、自分を助けにきたGravesや、ピンチに颯爽と現れるFateの姿が収まっている。

「最高の誕生日プレゼントね、これは」

「でしょ? マフィアに襲わせて二人を助けに向かわせ、その様子を録画しておく。いいアイデアだと思ったんだよねえ」

 胸を張る夫に目もくれず、ミセス・ボローは「最高の誕生日プレゼントだわぁ……」と、恍惚とした表情で呟くのだった。

 ちなみにカメラはずっと録画を続けていたため、家に着くやいなや二人がまっすぐにベッドへ向かい、その上で何をしたかまでが収められていた。枕元に放り出されたGravesのシャツと、きちんとハンガーにかけられたFateのスーツの2アングルだ。

 うっかり再生しっぱなしにして寝てしまったミセス・ボローは、Gravesの切羽詰まったように震える声で目を覚まし、失神して病院に運ばれたのだった。