Yasuoー戦いの果てー
笹の葉がさわさわと音を鳴らす竹林に、立ちつくす男の姿があった。
男は髷を高く結い、動きやすい幅広の衣を履いていた。首元に布きれを巻き、特徴的な大きな肩当てと、籠手を身に着けている。
あたりにはむっとするような血の匂いがたちこめていた。その出所は、男の足元にある死体だった。
男は手にもった刀をひと振りして血をはらい、そっと鞘へ納めた。それから膝をつき、虚空をにらむかつての仲間のまぶたを閉じる。
彼はしばらく死体のそばでじっとしていた。その表情は暗闇にまぎれ、なにを思っているのかうかがうことはできなかった。
やがて男は立ち上がり、竹林の中へと消えていった。
「っだー! 負けた!」
フードをかぶった小柄な影が、青白く光る石板から手を離して頭を抱えた。影が手を離した途端に、石板からは光が消えて、ただの灰色の石に戻る。
ここはサモナーたちがChampionに指示を出す、指令室のあるタワーだった。灰色の石板が五枚並び、その前にフードをかぶった、背の高さや体格の違う影が立っている。
周囲の影はそちらをチラリとみて、やれやれというような素振りをした。彼らも落胆の色をにじませていたが、それよりも感情をあらわにする隣の影をせせら笑うような雰囲気をかもしだしている。
やがて彼らの背後にあるポータルから、Championたちが姿を現す。影たちはボソボソとChampionと言葉を交わし、ポータルへと消えていった。
「すまない、サモナー。某の力及ばず……」
「いいって、私も全体見えずに熱くなっちゃってたとこあるし。帰ろうか」
「いや、そう何度も世話になるわけには。某は街に宿をとるゆえ……」
「まだそんな水臭いこと言ってんの。私は一人暮らしなんだし、部屋はあまってるんだし、困ってる人に一部屋貸すくらいどうってことないの。それともなに、うちに来るのがイヤなの?」
「そ、そういうわけではないが……」
「それなら決まり!」
影はそう言い、Yasuoの手を引いてポータルへ踏み込んだ。青い光に包まれて、二人の姿は消えた。
Ioniaの片田舎にある、古い大きな屋敷の門の内側に、二人の姿は現れた。
フードをかぶっていた影の中身は、二十を越えたばかりと思しき若い女だった。ぼさぼさの髪の毛は伸び放題で、格式高い屋敷に似つかわしくない、よれたシャツにハーフパンツ姿だった。
ガラガラと引き戸を開け、「ただいま~」と暗い家の中にむかってさけぶ。履物を脱ぎ捨てると、ぺたぺたと音を立てながら歩いていき、居間や台所の電気をつけた。
「失礼いたす」
Yasuoは頭をさげ、脱いだ履物をきちんとそろえ、ついでに彼女が脱ぎちらかしていった履物もそろえてから玄関にあがった。
「晩飯つくるから適当に時間つぶしてて」
家の奥からそう聞こえてきた直後に、桶が落ちるような音と「ぎゃー!」という悲鳴が聞こえてきて、Yasuoは苦笑した。
縁側に座って、見るともなく庭を眺める。石に囲まれた小さな池の水面に、屋敷の中からの光が反射して揺れている。塀の外は広い田んぼの間に、ぽつんぽつんと家がたっているだけで、とても静かだ。
風が稲を揺らすかすかな音を聞きながら、Yasuoはのぼり始めたばかりの月を見上げた。ふと思いついて、懐から笛を取り出す。口に当てて息を吹きいれると、かすかにかすれた物悲しい音色が流れ出した。風に乗って稲穂の上をすべっていく音に耳をすましながら、Yasuoは笛を奏でた。
「晩ごはん、できたよ」
言われて振り返ると、机の上に椀が並んでいた。
「いただきます」
ちゃぶ台に向かい合って座って、手を合わせる。白米にみそ汁、焼き魚と煮物、それから漬物。並んでいるのを見るだけでほっと一息つけるような、素朴であたたかい献立だ。
なにを話すでもなく二人で夕飯を食べ、示し合わせたように同じタイミングで食べ終え、食器を片づける。
「洗い物はまかせた。私はお風呂にいくね」
そういわれて、Yasuoは食器を洗い、また縁側に戻った。
夜は平和に、静かに更けていく。
月が天高くのぼったころ、Yasuoは立ち上がった。そのまま身支度をして玄関に向かう。
「行くの?」
寝間着に着替え、とっくりから酒を飲んでいた女が、顔もあげずに言った。
「律儀だねえ、そんな約束、反故にしちゃえばいいのに」
「そうだな。しかしこれは某のけじめでもあるのだ」
「そう、男ってのは難儀だね。いってらっしゃい」
「ああ」
そう言ってYasuoは、部屋を出て行った。その瞳には、はっとするほど暗い光が宿っていた。
数時間後、月が空を半分ほど渡ったころ。明かりの消えた屋敷の引き戸が、からからと開く音がした。血の匂いをまとった気配はそのまま風呂場へ向かったらしく、水音が響く。
しばらくして、月明りに照らされた縁側で、とっくりを傾ける女の後ろに、藍色の甚平に着替えたYasuoが現れた。
「おかえり、今日も生きて帰ってきたね」
女が声をかけると、Yasuoは無言でその隣に座った。
「飲みなよ」
とっくりを渡され、月にむかってそれを一度かかげてから、Yasuoはとっくりに口をつけた。
「今日も昔の仲間を斬ったのかい?」
そう聞かれて、Yasuoは「ああ」と短く答えた。
Ioniaの長老殺しの汚名を着せられてから、Yasuoはかつての仲間に追われる日々を送っていた。彼は逃げ、隠れ、時に追ってきた仲間を斬り捨てながら、長老殺しの犯人を追っていた。
仲間殺しは、皮肉にも彼の腕を磨きあげ、名声とも悪名ともとれぬ評判を彼にもたらした。それによって彼はLeagueに目をつけられ、そこで戦うならばいずれ真実へ近づく手がかりを与えようと誘いをもちかけられた。
一人での探索に限界を感じていた彼は、その誘いを受けた。これによって彼の身の安全は保障され、誰も彼に手を出せなくなった。
しかし彼に長老を殺されたと思い込んでいる民は、そんなことでは納得しなかった。彼らはYasuoに、誇りあるIoniaの剣士ならば戦えと、果たし状を送ってきたのだ。
彼はそれを受けた。週に一度、とある竹林を決闘の場所と定め、かつての仲間と戦うことになった。そして今夜も、彼は仲間を一人斬り捨てたのだった。
「君、長老殺してないんでしょ? だったら行く必要ないのに、どうしてわざわざ戦うのかな」
ごろんと縁側に寝転がった女が、隣に座るYasuoの顔を見上げながら聞いた。
「誇りのためだ。もしも挑戦を退ければ、某は長老を殺し戦いからも逃げた、卑怯者の烙印をおされることになる」
そう言ってYasuoはため息をついた。
「某は自分が無実であることを知っている。しかし、だからと言って戦いから逃げることはできぬ。無実だからこそできぬのだ、逃げれば罪を認めてしまうことになる」
「ふぅん、難しいんだね」
どうでもよさそうに相槌をうって、女はとっくりをひっくり返した。大きく開いた口に、ぽたりと最後の滴が落ちる。
「私がどうしてLeagueで戦ってるかって、話したっけ?」
「いや」
女はがばっと身を起こして、「聞きたい?」とにやにやしながらYasuoにたずねた。
「特には」
「うちはね、軍師の家系なんだ」
話し始めた女を、Yasuoは呆れたように見やる。
「ずーっと昔のご先祖様から、戦があるたびに駆り出されて、戦争の指揮をとってたんだって。もちろん私のお父さんも軍師だった。君が長老殺しの汚名を着せられたときの戦争でも、Noxus相手に一歩も引かずに戦線を維持してた」
女は後ろに手をついて、空を見上げた。
「だけどね、大きな戦いで失敗して、その責任をとらされて首をはねられたの。その時は私もまだ十とそこいらだったからさ、理不尽だって思ったよね。たった一回の失敗で首ちょんぱなんてさ」
ぼんやりと虚空を見る遠い目が、つっと細められた。
「幸いお金はあったし、お母さんはしばらく私を女手一つで育ててくれたけど、病気で死んじゃった。親戚連中は私のことを腫れものを触るように扱うし、両親と暮らしたこの家を出たくはなかったし、困っていたときにLeagueがサモナーを募集しているのを知ったの。それで試験を受けて、晴れてサモナーになったってわけ」
月が雲に覆われて、あたりがふっと暗くなった。Yasuoはなんと言っていいかわからず、ただ黙って聞いていた。
「私、自分自身が軍師みたいなことをするようになって、一つ気づいたの。私たちが駒として動かす人たちには、みんな命があるんだってこと。現実の戦で死んだ人間は、二度と帰ってこない。彼らの家族は、夫や子供が死んだことを抱えて生きていくしかない。だからお父さんが首をはねられたのは、仕方ないことだったのかもって思うよ。お父さんは、死んだ戦士たちとその家族の無念を晴らすために、国に責任をとらされたんだよね」
女は深いため息をついた。中身のはいっていないとっくりを、指先でくるくるともてあそぶ。
「まったくやる瀬ない話だよね。命に代えはきかないはずなのに、責任だのなんだのくだらないことで、物のように扱われちゃってさ。じゃあ私のお父さんが死んだ責任は、いったいどこの誰がとってくれるんだろうね。国なんてなんにもしてくれやしない」
「お父上は、戦士を死なせた咎を負われたのだろう?」
「そうだよ。でもそれだって、どっかの誰かが戦争なんて始めなきゃ、うちの父親が死ぬことはなかったでしょ」
女は片眉をあげてYasuoをみやった。
「それで、君はわかってるのかな?」
突然問われて、Yasuoは困惑した。
「なんの話だ?」
「君が、君のくだらない誇りとやらのために、たくさんの命を犠牲にしていること」
女の言葉に、Yasuoは厳しい目をして答えた。
「それは彼らが望んでいることであって、某が望んでいることではない」
「ほんとうにそうかな?」
「どういうことだ」
「戦わないことを選ぶこともできるのに、君は今も戦っている。それは君の誇りとやらを、彼らの命よりも上に見ているからじゃないのかな」
「そのようなことは――」
ない、と言い切ることはできなかった。
「きっと戦うことを拒めば、君は彼らにあざ笑われるだろうね。卑怯者の烙印を押され、恨みと嘲笑を買うことになるだろう。誇りは踏みにじられるだろう。君はそれがイヤだから、昔の仲間を斬っている。ところで、君が戦ってきた相手はどうかな? 彼らの家族は? 君は命を奪ってきた数だけ、他人の誇りも家族も台無しにしているんだけど、それについてはどう考えているの?」
畳みかけるように問われて、Yasuoは答えあぐねた。
「俺は……」
雲の切れ間から、月の光が差し込んできた。月を映して光る瞳が、Yasuoをまっすぐに見つめていた。
「私は君に、これ以上戦ってほしくないと思うよ。もう戦わなくていいのに戦うのは、命を粗末にする行為だ。相手の命も、自分の命も、誇りという言葉の下で軽んじている。どうして戦うのか、よく考えてみることだね」
言いたいことを言って、女は月明りを全身に浴びるように伸びをした。
「うーん、私はもう寝る。それが言いたくて君を待っていたんだ。とはいえ、これは私の一意見に過ぎないし、君の選択は君の選択だよ。君が戦うことを選んでも、私はこれ以上とやかくうるさく言うことはしない。それじゃ、お先に失礼」
月に照らされた縁側の舞台から、女は家の暗がりの中へひっこんだ。一人残されたYasuoは、女がしていたように、縁側にごろりと寝転がってみた。はるか遠くに、空に開けた穴のように、ぽっかりと月が浮かんでいる。
Yasuoは、人の肉を斬る生々しい感触が自分の手につきまとっているのを感じた。それは忘れるまでもなくいつでも自分の手の中にあって、ことあるごとに自分は人斬りなのだということを思い起こさせる。
しかし今さら、戦いをやめるということは考えられなかった。そうしようと考えるたびに、これまで斬り捨てた仲間の顔が浮かんだ。彼らは自分を殺しておいてのうのうと生きられると思うなよと、枕元に立って自分を苛むのだ。
彼らのことを忘れて、安穏と生きることはできない。人を殺したことを、自分を守るためだったと正当化して、彼らの死から目をそらすことはできない。自分は他人の死を、死ぬまで背負う道に踏み込んだのだ。
Yasuoは腕で顔をおおった。涙が一筋、顔の脇をつたって流れ落ちた。
「どうやら肚は据わったみたいだね」
次の日の朝、朝食を食べながら、女はYasuoに言った。
「そうだな。某は戦う。せっかくの助言を無下にして申し訳ない」
「いやいや、前よりはずっとすっきりした顔になったから、いいんじゃないかな。私としてはどちらか一つに決めてもらえればそれでよかったし」
たくあんをぱりぽりと食べながらそう言われて、Yasuoは食えない女だと苦笑した。
「その口ぶりだと、某の迷いも見抜いていたようだな」
「そうだね、君は戦いたくないけど、いやいや戦っているんだって顔をしていたしね。刃を鈍らせるのは、血でも骨でもなく、迷いだよ」
人差し指を立てて、ちっちっちと振って見せる。
結局女はすべてお見通しで、発破をかけただけだったというわけだ。Yasuoは食器を流しへもっていく背中を見ながら、心の中でそっと礼を告げた。
二人は支度をして、門の前に並んだ。
「それでは私たちのLeagueへ行こうか。今日こそは勝とう」
「ああ」
Yasuoの戦いは、まだしばらく続くようである。